道路族とは?

道路族とは、危険な道路や駐車場で子どもを遊ばせる、道路を占有する、非常識な人々の総称です。自身が楽するためであれば、子どもの命も、他人の迷惑も顧みません。一例をあげると、つぎのことをします。

<幼稚から幼稚園児>
・2、3歳児くらいの子どもが一人でストライダーや自転車で周回。親は井戸端会議に夢中で子どもを見ていないか、そもそも道路にいない。子どもが車にひかれかけても懲りない。
・道路にコーンを置いての自転車の練習。通行できない。
・子どもに遊具を買い与えて、道路で遊ばせる。車がきてもよけない。遊具は道路に散乱。親は井戸端会議に夢中。遊びの後も遊具は道路に放置。
・大人数で縄跳び大会や、道路一面に落書き。
・道路にベビープールを設置して奇声を発しながらの水遊び。自分の敷地にベビープールを置いていても、道路に出て遊びはじめる。
・駐車場で井戸端会議。その間、子どもは駐車場で遊ぶ。「危ない」と注意すれば「車が気をつけろ!」と、また他人の車が傷つこうが構わないし「傷つけられたくない車なら駐車場に停めるな!」とまで言ってくる。

<小学生から高校生>
・道路にゴールポストを設置してのサッカー。道路はゴールポストや小学生たちで封鎖されて通行できない。
・道路や駐車場でドッチボール、バスケットボール、バレーボール、バトミントン、キャッチボールなどの球技をする。
・キックボードなどでで周回。飛び出す。
・道路に寝転ぶ、車が来たら飛び出す(そういう遊び)。
・見知らぬひとの敷地に勝手に入り込んで遊ぶ。

<親>
・道路にて、集団で井戸端会議。車がきても、のろのろよけるだけ、もしくはよけない。
・狭い駐車スペースでBBQ。
・注意されれば逆切れ。他人の車が傷つこうが構わない。道路遊びを注意すれば逆に警察に通報する親も。

ごくごく、ふつうに日本で生まれ育ったひとが見ると、目を疑うような光景がそこにはあります。
それだけではありません。被害が深刻な地域では、このような非常識な行為をするのが当たり前、何の罪悪感もないひとたちで占められていて、 「公園で遊んだらどうでしょうか」とやんわりと注意しただけで村八分、嫌がらせにまで発展するケースもあります。
「子どもに遊ぶなと言っているわけではない。危険な道路や駐車場ではなく、公園で遊ばせてほしいだけ」なのに、このような仕打ちをうけるのです。

道路族被害者のタイプと行きつくところ

一言で道路族被害者といっても、つぎのような、さまざまなタイプのかたがいらっしゃいます。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
まずは「己(自分ができること)」を知りましょう。
あなたがどのタイプであったとしても、「道路や駐車場での遊びをなくしたい」という気持ちは同じです。

<タイプ1>
はじめは道路で親と遊んでいる幼児を見ても気にしない、もしくは、ほほえましく思っています。
しかし、集団による道路の占拠、複数の子どもによる奇声、井戸端会議の笑い声、道路に散乱したままの遊具、花壇を荒らされるなど、被害が酷くなるにつれて「これがふつうのことなの?」「こういうことを気にする自分がおかしいの?神経質なの?」と疑問に思うようになって、検索して、「道路族」という言葉を知ります。

<タイプ2>
ふだんは仕事で家にいないのですが、週末になると道路や駐車場で遊ぶ近所の子どもたちの騒音に悩まされるようになります。 また、家のまわりを見ると、車に心当たりのない傷がついていたり、花壇が荒らされていたり、ごみが散乱していたりします。
「子どもの遊び場がないから仕方がないか…」と口にはしますが、本音では道路や駐車場で遊ばないでほしいと考えています。

<タイプ3>
静寂な環境を選んで暮らしていたのですが、ある日、新興住宅地ができて、そこに住む道路族による騒音に悩まされるようになります。 もしくは「閑静な住宅街」という不動産の広告を信じて戸建てを購入したのですが、そこには道路族がいて騒音に悩まされるようになります。
いずれにしても、子どもが車にひかれようが命を落とそうが興味はなく、子どもや親による奇声、遊具から発せられる騒音が何よりも苦痛と考えています。

<タイプ4>
子どもが苦手、なかには「子どもを産まない」と決断したひともます。分譲地に引っ越してきたり、家の近くに道路族が引っ越してきたりして、 常に子どもの奇声、親の笑い声、遊具の騒音が響き渡り、苦痛でたまりません。

<タイプ5>
新興住宅地などに引っ越してきて、最初は近所づきあいと思って路上で繰り広げられる井戸端会議に参加します(道路族デビューします)。 心の中では「道路や駐車場で子どもを遊ばせるのはよくないのでは…」と思っていても、道路族から抜けると悪口を言われ、陰湿ないじめにあう、 または、自身の子どもがいじめのターゲットにされるのでは、と恐れていて、なかなか抜けられません。
子どもに習い事をさせることで、口実をつくり、ようやく道路族から抜け出せたのですが、日々繰り広げられる道路や駐車場での遊びにうんざりしていて、 「道路族がいなくなればいいのに」と思っています。

<タイプ6>
乳幼児を育てていて、ようやく寝かせたと思ったら、目の前の道路で騒ぐ親子の奇声で目を覚まします。 「子どもが寝ているので静かにしてほしい」というと「あなたの子どもも、将来、遊ぶようになるから!」のようにいわれて、「そういうものなのかな…」とは思いましたが、やはり道路や駐車場での遊びには疑問を感じています。

<その他>
そのほか、夜勤、介護で寝たいのに、などのかたもいらっしゃいます。

いずれのタイプも、道路族被害に悩み、苦しみ、ついに我慢しきれなくなって勇気をしぼりだして、やんわりと直接注意するのですが――。

集団で悪者扱いされます(なかには、逆切れ、恫喝などもされるひともいます)。
また道路や駐車場での遊びはなくなりません。
それに周囲に相談しても理解してくれませんし、「神経質なだけ」「あなたが悪い」とまで言われることもあります(地区によりますが、公的機関でも理解してくれないケースもあります)。

その結果、家にいて子どもの声が聞こえてくると「また道路や駐車場遊びがはじまる…」と憂鬱になって、それが長期間続くうちに、なかには子供嫌いになるひと、心を病むひともでてきます。

道路族への対策

道路族被害者の実態をわかっていただけたと思います。
では、道路族被害に対して、わたしたちは何ができるのでしょうか?
つぎのように、いくつか対策がありますが、わたしたちが推奨するのは「110番通報」です。道路族の深刻度にもよりますが、何度か110番通報すれば解決することが多いためです。それ以外にも、道路族のなかには、警察に「あなたは危険人物」などと虚偽の相談をする人がいるので、110番通報することで先手を打つことができる効果もあります。
道路族の深刻度が高いと、できるなら「引っ越し」するのが理想です(なかなか難しいとは思いますが…)。

(警察)110番通報
(警察)#9110に電話して相談
(警察)警察署の交通安全課に出向いて相談
(警察)交番で相談
(学校)苦情の電話、手紙、メール
(役所)苦情の電話、手紙、メール
(自己解決)引っ越し
(自己解決)直接注意
(自己解決)間接的に注意
(裁判所)調停・訴訟

このように、さまざまな対策がありますが、深刻度が高いと、これらの対策では解決できないこともあります。最強の「引っ越し」という手段でさえ、引っ越し先に道路族がいれば終わりです。

道路族の深刻度をチェック!

※敵を知り己を知れば百戦危うからず。つぎは「敵(道路族)」の実態です。

「子どもの道路や駐車場遊びくらい直接注意すればいい」と思うかもしれませんし、注意することで道路や駐車場遊びがなくなることもありますが、直接注意したら逆に警察に通報されてパトカーが来る事態になったり、村八分や嫌がらせにまで発展したケースもあります。
まずは、同じ道路族でも深刻度がちがうと知ったほうがいいでしょう。
そのために道路族の深刻度の「目安」を紹介しています(わたしたちが考える深刻度であって公のものではありません)。

・深刻度「0」:道路族被害ではなくても下記につながることもあるので安心できません。
・深刻度「1」:注意されれば道路や駐車場で子どもを遊ばせなくなる、もしくは、少なくともあなたの前では遊ばせなくなります。
・深刻度「2」:注意されれば遊ばせなくなりますが、その後、別の道路族があらたに発生して、元道路族も息を吹き返します。
・深刻度「3」:相手がたとえ先生や警察官であっても、注意されれば逆切れするなど、たちの悪い道路族がいます。1家族だけではなく道路族が集団となっているケースも多々あります。
・深刻度「4」:刺青がはいったDQN、外見はふつうでも頭がおかしい道路族がいます。徒党を組み、威嚇、嫌がらせ、いじめなどに発展します。
・深刻度「5」:地域ぐるみで、道路や駐車場遊びをします。

道路族の言い分

「子どもは騒ぐものだろ? 騒いで何が悪い! オマエも昔は子供だっただろ!」と主張する道路族がいますが――。

わたしたちは「子どもに騒ぐな」とは一切言っていません。
「公共・共有の場では他人に迷惑をかけない」などの、ごくごく当たり前のマナーを守るように言っているだけです。

すなわち、公共・共有の場である道路や駐車場ではなく、公園で騒げばいいと言っているだけです。

つぎに「子どもに外で遊ぶなというのか!」「子どもの遊ぶ場所がない! 子どもの遊び場を奪うつもりか!」という道路族もいますが――。

そもそも、わたしたちは子どもに外で遊ぶなとは、一言もいっていません。「危険な道路や駐車場ではなく、公園で遊んでほしい」と言っているだけです。
それに対して「子どもの遊び場がない」という主張ですが、公園の数は増えている統計データがありますし、そ、もそも道路族被害にあわれているかたの大半は「近所に公園がある」です。
遊び場がないのではなく、単に「子どもの命はどうでもいい」「自分が楽できればそれでいい」「子どもがひかれようが井戸端会議してストレス発散したい!」という、人でなしの親もどきが、危険な道路や駐車場で子どもを遊ばせているだけです
なぜ、そう言えるのでしょうか?
つぎを見れば、一発でわかります。

道路や駐車場で遊ぶ子どもに飛び出されて車でひくと――。
・子どもは生き返らない。
・運転手は逮捕。人生台無し。
・このような事態をまねいた親には保険金や見舞金などの大金がはいる。

それに、道路や駐車場で子どもの死亡事故が起きても、道路や駐車場での遊びがまったくなくならない地区も多々あります。

また、「車通りがなければ」という意見もあるようですが、近所の人の車しか通らない袋小路のような道路でも、子どもがケガ、大ケガ、死亡する交通事故が起きています。

それに、子どもの命はたったひとつだけです。
たとえ確率が低くても、子どもが死ぬかもしれない場所で遊ばせる人の気持ちはわたしたちには理解できません。

このような「子どもの生命を守りたい」というわたしたちの想いを「騒音問題」にすり替えるのは、何も道路族に限ったことではありません。

理解力がない人たちの大いなる勘違い

道路族の問題と「保育所の問題」と混同する、理解力がないひともたくさんいます。

確かに、子どもや親が発する奇声をはじめとした騒音がとにかく苦痛の道路族被害者もいます。
しかし、子どもを凄惨な交通事故から守りたい被害者もいます。
また公共・共有のものを占有しない、他人に迷惑をかけないなどの、ごくごく当たり前のマナーを守るように言っているだけです。

そういう、凄惨な交通事故から子どもの生命、運転手の生活を守り、ごく当たり前のマナーを守るように言っている、わたしたちと、保育所の問題は根本からちがうのは一目瞭然です。
わたしたちと、保育所の問題がなぜ混同されるのか理解に苦しみます。

道路族 被害者の苦しみ

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